長川寺について

長川寺は源頼政の末裔である金光占見城主西山宗久が正中2年(1325)以前に建立した梵刹を起源とする古刹です。
その後の応永19年(1412)、曹洞宗大本山總持寺七十三世英巌章傑禅師が曹洞宗の禅寺へと改め、
山陽道以南の修行道場として興隆しました。

当寺は鴨山城主細川野州家の庇護下で室町・戦国時代を潜り抜け、江戸時代に当地が鴨方藩に帰属すると藩内の中心寺院として藩政にも関与しました。長川寺は開創から明治維新まで一貫して武家社会と強い関りを持ち、
武家の寺としての性格を有しています。

その最たる例が市内最古級の本堂内に造営された位牌所の存在です。
位牌所には細川野州家の位牌を筆頭に、鴨方藩主とその本家たる岡山藩主の位牌、そして岡山藩主と縁戚である徳川将軍家の位牌等が祀られています。

これは地方の曹洞宗寺院としては異例の事であり、当寺が武家社会から求められた特性を色濃く反映しています。
廃藩置県により鴨方藩が消滅するまで長川寺住職は岡山在住の藩主に年始の挨拶を行う事も慣例の一つでした。

これらの歴史的背景から当寺は市内最古級の平安仏や岡山藩主拝領の書画など貴重な寺宝を今日に伝えていますが、
それらは檀信徒を中心とする地域の人々の尽力の賜物であり、
この場を借りて過去から現在に至る長川寺への御厚恩に深く拝謝する次第です。

長川寺三十三世 拜