長川寺の略年表
西暦(元号) | 長川寺の歴史 | 西暦(元号) | 日本の歴史 |
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1325年(正中2年)頃 | 西山宗久が「梵刹」を開く | 1325年(正中2年) | 曹洞宗大本山総持寺を開かれた瑩山禅師が示寂 |
1407年(応永14年) | 浅口守護細川満国公が初代鴨山城主に君臨 | ||
1408年(応永15年) | 足利義満が死去 | ||
1412年(応永19年) | 英巌章傑和尚が曹洞宗の禅寺に改め、鴨山城主ゆかりの禅寺となる | ||
応仁年間 | 兵火によって伽藍焼失 | 1467年(応仁元年) | 応仁の乱が始まる |
文明年間 | 鴨山城主三代細川教春公の助力で伽藍再建 | 1477年(文明9年) | 応仁の乱が終息する |
1575年(天正3年) | 鴨山城主七代細川通董公が鴨山城に入城し寺領を寄進する | 1575年(天正3年) | 長篠の戦いで織田・徳川連合軍が勝利を収める |
1600年(慶長5年) | 鴨山城廃城、細川家は毛利家に随って長州へ転封 | 1600年(慶長5年) | 関ヶ原の戦いで敗北した毛利家は周防・長門へ減封 |
1605年(慶長10年) | 備中国奉行小堀遠州の検地を受け幕府より寺領を受ける | 1605年(慶長10年) | 徳川秀忠が江戸幕府二代将軍に就任する |
池田輝政からもを寺領を受ける | |||
元和年間 | 山崩れが発生し伽藍が再消失 | 1623年(元和9年) | 徳川家光が江戸幕府三代将軍に就任する |
1660年(万治2年) | 大梵鐘を鋳造 | ||
1665年(寛文5年) | 江戸幕府が諸宗寺院法度・諸社禰宜神主法度を発布 | ||
1666年(寛文6年) | 末寺は数ヵ寺を残してことごとく廃寺となる | 1666年(寛文6年) | 岡山藩主池田光政が寺社整理政策に乗り出す |
1704年(元禄17年) | 現在の本堂を再々建立 | ||
1715年(正徳5年) | 鴨山城主七代細川通董公墓所を建立 | ||
1716年(享保元年) | 徳川吉宗が江戸幕府八代将軍に就任する | ||
1737年(元文2年) | 僧堂・東司を再々建立(現存せず) | ||
1778年(安永7年) | 現在の山門前の石橋が建立される | ||
文化年間 | 岡山藩お抱えの庭師弥兵衛が衆寮庭園を作庭 | 1808年(文化5年) | 間宮林蔵が樺太を探検 |
文政年間 | 長川寺背後の鴨山が観音信仰の霊場として整備される | 1823年(文政6年) | ドイツ人シーボルトがオランダ商館員として来日 |
1843年(天保14年) | 現在の庫裏が建立される | ||
1935年(昭和10年) | 現在の鐘楼堂が建立される | ||
1937年(昭和12年) | 日中戦争(支那事変)が勃発 | ||
1941年(昭和16年) | 太平洋戦争が勃発 | ||
1942年(昭和17年) | 金属類回収令により大梵鐘を強制譲渡 | ||
1944年(昭和19年) | 山門前の松の巨木も戦時供出される | ||
1945年(昭和20年) | ポツダム宣言を受諾 | ||
1959年(昭和34年) | 現在の梵鐘を再鋳造 | ||
1964年(昭和39年) | 東京で第18回夏季オリンピックが開催される | ||
1984年(昭和59年) | 聖観世音菩薩像を建立、落慶法要を行う | ||
2008年(平成20年) | 檀信徒会館(清瀧閣)・山門を再建する | ||
2018年(平成30年) | 樹木葬区画整備・完成 | ||
2019年(令和元年) | 納骨堂「潺湲堂」(せんかんどう)建立、落慶法要を行う |