細川通董(ほそかわみちただ)公墓所

細川通董(ほそかわみちただ)公墓所

長川寺は応仁の乱の兵火によって焼失した際に備中守護細川満国公の菩提寺として細川家に整備されました。
その歴代細川家の中でも当寺と地域の興隆に最も尽力されたのが鴨山城主細川家七代目の細川通董公です。

細川通董公は戦国時代から安土桃山時代にかけて備中国浅口郡を統治した武将で戦国大名毛利氏の客将として活躍しました。
細川通董公は天正3年(1575年)からは長川寺背後の鴨山に聳えていた鴨山城を拠点としましたが、天正15年(1587年)に赤間関(現下関市)で病没されました。

現在の墓所は4代後裔に当たる長府藩毛利家家老の細川元純が正徳5年(1715年)に建立した物です。浅口市指定文化財にも登録されています。

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